少子高齢化問題 ~社会と切り結ぶ弁護士の仕事の紹介<その1> 2024年1月記~

子どもの出生数が2022年度は80万人を切った。少子高齢化で日本の経済成長率は低下すると時の政府は大騒ぎしている。

日本の出生率が低いのは今に始まったことではない。「子どもを産まない女性たちのせいで国は滅びる」と政権の中枢にいた大臣が発言したことを、私たち女性は忘れない。

1975年の国際婦人年の年に弁護士になった若き日の私は、国の無策を女性のせいにすり替えて公言する政治に未来がないと怒っていた。某大商業新聞社の記者が何故か無名の若い弁護士の私にコメントを欲しいと言ってきた。50年近く経った今日、世界では「ジェンダー平等」が人類の持続可能な発展を保障するとの考え方で進んでいる。

さすが今日、政治資金集めのパーティ券裏金作り問題の刑事事件の捜査が進行している中、以前と同じ言葉を公言する大臣はいない。しかし、「子どもを産んで一人前」と発言し、女性の生き方に枠をはめる心情は世間に広く残っている。

ところで、私は少子化を解消する真の方法は、女性の生き方ではなく、子どもを安心して産み育てる環境を若い人達に保障することだと50年近く言い続けてきた。その責任は偏に時の政権にあると。

1つに、雇用が不安定では結婚さえためらい、到底子どもを何人も作ることにはならない。例えば、戦後日本憲法の下で制定された職業安定法の労務供給事業の禁止規定を改悪し、派遣業を野放しに増大させ、労働条件を低下させるに至らしめたのは国(派遣業法の度重なる改悪も)である。

2つに、子育てを基本的に保障するのは国の経済的保障がなくてはならない。

例えば、日本は国連人権社会権規約13条の2項の中等教育及び高等教育無償の漸進的導入を日本は1979年に批准に当たってしばらく留保していたが、これを2012年に撤回しましたが、これを実現していない。今日も、大学の授業料等はアルバイト無くしては支払えず、奨学金の支払も社会人スタート時に平均約300万円前後の借金を背負わせるに至っては、若い人達が子どもを産むどころではない。

離婚事件などを担当する中で、離婚理由がその経済的負担に起因していた事件もあり、これが庶民の一生に大きな影を落としている。

要は若い人達に夢と希望を与えずして、時の政権は少子化を庶民の責任にしてはならない。加えて、少子化は必然的に人口における高齢者の割合を高くする。時の政権は、高齢者の生存による経済的負担は、若い人達に転嫁できないと言い出し、年金の減額および物価スライドで増額すべき年金を「マクロ経済スライド」なる指数を持ち出し、減額するに及んでいる。私は日本全国で2015年以来5168人43地方裁判所で争う弁護団の一員となっている。国を相手に年金引下げ処分を憲法25条など違反を理由として提訴した(庶民である原告らの年金の平均受給額は年額60万~180万円)が、裁判所はいずれもこれを排斥している。この裁判の多くは現在最高裁判所に係属している。

そもそも地方裁判所・高等裁判所裁判官の定年は65才、裁判官の年俸はおよそ1400万円から1600万円である。これでは庶民一人ひとりの現実の生活を個別にみることより、国策に追従するのを是とする方向になびくのかと疑う目が生まれる。

昨年末にコロナ禍も一応過ぎたと称されたこともあって、私は何年ぶりかの家族旅行をした。子ども連れの若い夫婦が沢山集う遊園地・水族館でお父さん・お母さんにしっかり手を握ってもらった子どもたちの笑顔があちこちにあった。うっとりと見とれてしまった。「少子高齢化に悩んでいるような顔を見せる」時の政権の面々は、こんな庶民の姿を見る機会があれば金で売買する政治から足を洗って、少子高齢化の真の解決とは何かの私たち庶民の声を聴いてみようと思わないだろうか。