一 今年の3月末日をもって私は弁護士生活満50年目の日を迎えます。
亡き母は、戦後すぐ焼け野原の残る大阪市浪速区大国町で幼い4人の娘を抱えて文房具店の商いを興し、1995年文具店の現役の業者のまま83歳で永眠しました。業者歴50年でした。母は子どもを育て上げただけでなく、女性たちと子どもたちに囲まれた人生でした。今で言う「子ども食堂」の個人版で、いつも子どもや青年たちが母の作る料理を、私たち子どもと一緒に食べていました。地域の親子キャンプの中にも身を置いて、晩年足を悪くしたことを忘れるくらいに河原のゴロゴロ石の上を歩いてるビデオが手元にあります。
私が2年前独立して「女性と子どもたち」に寄りそうことの出来る弁護士になろうとしたのも、母のそんな生き方を直近で見て育ったからです。
こんな母の姿を見て、その娘である私が弁護士を目指していることを知った正森成二先生は、私が司法試験に合格した年の直前に巻物風の和紙に達筆な毛筆で、「必ずや合格してその生き方を引き継いで欲しい」と激励して下さったことを昨日のように思い出します。
母と正森先生の期待にどれだけ応えられたかと、自信はありませんがとにかくこの思いを胸に50年疾走してきました。
二 母が果たした現役50年は一つの区切りで、私も弁護士として生きる道はもうこれ位でいいかと思うこともありました。
だけど、このところにわかにこの人生観が変わりました。今から50年前ほどの私たち青年の間でベストセラーになった住井すえさんが部落問題を描いた小説「橋のない川」で、主人公が差別と闘う自分は身分差別の権化である明治天皇より長生きして、自分の生き方を示したいと語る場面がありました。
トランプ米大統領が金色のトランプ像をガザの街に立ち、しかも自分が撒く札束に子どもたちが群がるというAI画像をSNSで流しているテレビ画像を見て、フト思い出しました。そうだ、私もトランプ大統領が退くまで(アメリカの大統領は2期しか出来ないので、その権力の座にはあと4年弱)弁護士を続けようと決心しました。
こんな奇想天外な発想をする自身に笑ってしまいますが、どうも自分は本気で思っているようです。
三 かような次第で弁護士を少なくともあと4年弱は続けることにしました。60才代のあの時の健康体よ戻って来いと叫ぶ日々を送ることにしました。